こんにちは。
ダイヤモンド愛川でございます。
日本人メンズエステは、韓国エステ、台湾エステに感化され、各地で誕生しました。エステであれば何でも良いという考えはなく、基本的な施術方法を取り入れながら、所作やおもてなしの心を融合し、さらに発展させたのでございます。
誰にも見つからず、ひっそりと楽しむメンズエステ。偶然か必然か、時の流れともに光が当たり、様々な変化が現れるのでございます。
そんな時代を【開化期】とさせていただきました。
メンズエステの歴史 第一章【創生期】~前編~はこちら
メンズエステの歴史 第一章【創生期】~後編~はこちら
~メンズエステ史 第二章【開化期】~
2004年に創立しましたオリーブスパは、私たちが足を運んでいるメンズエステとは一線を画していました。
すでにスポットライトを浴びていたお店でございます。
広尾に1号店をオープンし、その後東京を拠点に全国展開。
国内外30店舗近くを展開する溶岩浴&オールハンドのリラクゼーションサロンでございます。
「男性が女性に見栄をはるところ」
そう揶揄する方もいらっしゃいました。
少々高めのクラブで知り合った女性に、エステを受けさせるため、オリーブスパに連れてくる男性が港区界隈でよく見られたそうでございます。
芸能人やセレブ御用達の高級スパ施設であり、都会にいながらも、まるでリゾート施設に来た感覚にさせられるのです。
連れてこられた女性は「わー、すごーい」となるのでございます。
この「わー、すごーい」を聞くために、男性は頑張っているのでございましょう。
私がはじめてお伺いしました日本人メンズエステは、大塚の名店ミラージュ。
韓国エステや中国エステとは違う雰囲気と、日本語が通じるセラピストさん。
谷間の見えない施術服を着て、確か60分8Kでございました。
今では考えられない料金でございます。
いい思い出でございます。
体験ブログでたくさんの方が使用していました「撫子エステ」という日本人メンズエステの呼び方は、もう死語でございましょう。
当時、予約困難なセラピスト様として名を馳せていた東新宿の名店「ラメール・ド・ラメール」N女史。
【創生期】で書かせていただきましたM女史やK女史とともに、私たちエステ好きのカリスマセラピスト様でございました。
ラメール・ド・ラメールの店内に広がる色は、とても静かで神々しく、1つでも欠けてしまったら全てが崩れ落ちそうな、繊細な「青」でございました。
深海で何千年もひっそりと暮らす魚のように、息を殺し耳をすましながら施術を受けたものでございます。
アメブロに予定がアップされた時の緊張感や、ワンルームメンズエステの特別感を、この時初めて味わうことができました。
予約が取れた嬉しさは、今でも覚えています。
この頃、お店に行く前に2ちゃんねるや、したらば掲示板をみている方が多数いらっしゃいました。
私もそれなりに参考にしていました。
このお店は盛り上がってる。
このセラピストはあんなことするらしい。
こういうスレッドを、何度も読んだのでございます。
エステサイトといえば、当時、エステナビよりA-sideを使っていました。
先日A-sideを久しぶり開きましたが、知らない機能がたくさんついていたので、少々驚きました。
時代に合わせて、常に考えているのでございましょう。
その後はエステナビに移り、そしてエステ裏評価をよくみるようになります。
チャイエスにハマってた時代ですので、参考にしておりました。
エステ裏評価の良いところは、お店ごとに掲示板がついており、注目のセラピスト様がわかりやすいことと、ホームページへの導線がスムーズだったことです。
2ちゃんねるやしたらば掲示板にはない機能に閲覧者が増え、裏評価掲示板上でのバトルは、閲覧していて楽しいものでございました。
セラピスト様を罵る者、それを庇う者、庇う人を店員だと罵る者、さらにそれを罵る者。
これらの攻防を第三者として眺めておりました。
エステ歓歓、ADnavi、リラックススタイルが、A-side、エステナビを追随するようにチャイエスの掲載を増やしていたのも、この頃でございます。
ナイトネット、エステマップ、メンズエステ研究所なども様々な仕掛けを始める一方、日刊ゲンダイにはアジアンエステの大きな広告が、紙面2ページ分を使い、乱立していたのでございます。
同じような顔のアジアンセラピストが、ブロック塀のように並んでいたのでございました。
乱立するのはブロガーも同じで、当時のアメブロエスターの中心は、グーデリアン様、Gメン多村様の第一世代エステブロガーの他、バカツル様、マスク様、Lip様、とふとふ様、ムタジェット様といった第二世代エステブロガーでございました。
アメブロで体験談を書き込み、尚且つ、2ちゃんねるやしたらば掲示板で罵り合いながらも躍動する姿を見て、私のような小僧はそんな先輩たちに憧れを抱いたものでございます。
2009年頃、この業界は台湾マッサージや韓国エステ、中国エステがリードしていましたが、新宿駅南口にオープンしました「ハワイ・デ・リゾート」がエステ好きの話題を集めたのでございます。
数名のエステブロガーが記事をアップし、それを読んだたくさんのエステブロガーがお店に行き、また記事をアップする、という理想の拡散をしたのでございます。
新宿ハワイ・デ・リゾート、ホワイトビーチ、渋谷バリバリなど、夜の帝王が創り出すメンズエステは画期的で、何人ものセラピスト様をスターにしていきました。
ポケットティッシュに印刷された女性たちは、今何をされているのでしょう。
ハワイ・デ・リゾートの40分2K+入会金2Kという料金は、今考えるとかなりリーズナブルでございます。
今のお客様であれば迷わず、100分18K以上のコースを選ぶでしょうが、呼び水としての効果は絶大でございました。
亜流と呼ばれていましたこのお店が、後のメンズエステに、たくさん影響を与えたのは言うまでもありません。
私もハワイ・デ・リゾートのお試しコースでメンズエステデビューを飾りました。性欲モンスターだった当時、抜き無しの洗礼を容赦なく浴びせられました。
うっかり風俗をハシゴしちゃうパターンで御座いますな。
FBKのまま歌舞伎町に走りました。。。
この頃のエステ業界といえば、アジアンエステ「健工房」が新宿を中心に店舗を増やしていました。
老舗台湾マッサージ「陳エステティック」は失速しはじめ、様々なエステブロガーにより池袋「こまち整体院」や激安でした上野「栄花」が躍進。
撫子エステは異業種からの参入が秋葉原をはじめ、巣鴨や神田にも現れはじめました。
上野アルベルゴで人気を誇っていましたアジアンエステ「栄花」の、栄花式延長を模倣する店舗が各所で増え始めます。
時間間際になるとギリギリのところを責めながら「延長しますか? 」と聞く方法でございます。
韓国エステが独占していました大塚、御徒町の他、その先の秋葉原、新橋までチャイエスが拡大。
神田には2階から9階までがアジアンエステという伝説的名所「エステビル」まで出現したのでございます。
韓国エステ、中国エステ、そして日本人メンズエステ。
日中韓による戦国時代へ突入すると思われたこの時
すでに官軍も動き出していたのでございます。
日中韓官エステ戦国時代。
2010年~2011年は波乱の時代でございました。
2010年10月
アジアンエステに心を奪われていました私は、赤茶色の要塞、皆様が九龍城と呼ぶ上野アルベルゴに訪問しようと、様々なホームページを閲覧していた時でございます。
英国紳士らしからぬ行動に、今こう語るのも気恥ずかしい限りでございます。
行こうか行くまいか、そんなことを考え妄想していました頃、何気なくつけたテレビジョンから衝撃の報道が流れました。
上野アルベルゴ陥落
ついに落城した九龍城は、全234室のうちの半数以上、135室が違法エステであったとか。
マンションの一室が受付所になっており、支払いを済ますとお部屋番号の書かれた紙切れを持って、セラピスト様のいる部屋へ向かうシステムでございました。
同じマンション内を移動する男性は、たくさんの欲望と期待を胸に、歩いていたのでございましょう。
私は、フラッシュのたかれるTVショーを、呆然と眺めるだけでありました。
行き場を失ったアルベルゴファンは、どこへ行ったのでしょう。
アルベルゴ一掃前に、一釘打たれていた御徒町や湯島のアジアンエステはおとなしくなり、セラピスト様たちは他のエリアへ離れていきました。
池袋でもキナ臭い報道があり、残る名所はあと1つ。
歌舞伎町の一掃を思い出す出来事が、都内各所で続きました。
年が明けた2011年2月
この時、癒しを求めたいのに躊躇してしまう、という複雑な心境でありました。
皆も同じだったかもしれません。
施術を受けてる時にもしや……。
良からぬことを想像してしまい、エステから少し距離を置いていた時でございました。
大塚、韓国エステの一掃はそんな時でございます。
最後の名所でありました大塚。
掲示板に、やっぱりと書きこむ人がいました。
憩いの場が消えていくと書きこむブロガーもいました。
私といえば、未だアルベルゴ知らず、未だ大塚の韓国エステ知らず。
行ってみたかったと思う反面、行かなくてよかったと思う気持ちが交差しております。
活気づいたエステ業界は、スポットライトが当たってきたためにお上から目をつけられ、それにより中国エステ、韓国エステの摘発が相次ぎました。
それでもアジアン、日本人ともに店舗は増え続け、エステブロガーは第三世代が御徒町、神田を中心に活動を活発化させていました。
そして、エステサイトも次々リリースされるのでございます。
この時のエステサイトは、A-side、エステナビ、リラックススタイル、エステ裏評価、エステ歓歓、エステマップ、ナイトネット、メンログ、メンズエステ研究所辺りでございます。
エステ猿がブログのような形式で出現したのも、この頃でございました。
その中で当時、ほとんど掲載店のなかった2つの無名サイトが、エステ誌を発行するのでございます。
もみパラと、週刊エステ
2011年に発行された2つのエステ誌は、メンズエステ業界初のことであり、悲願だったのでございます。
Gメン多村様、グーデリアン様、ダンセン様たちが、全国のエスターと交流を深めながら企画していたエステ誌の発行。
いまだこの企画の頓挫は、原因不明でございます。
その数年後、もみパラがひと足先に発行し、2ヶ月後には週刊エステがエステ誌を発行したのでございます。
エステナビ、A-side、リラックススタイルなどを中心としたネット時代真っ只中、時代を逆行しているように思える出版物。
しかし、2つのエステ誌は、私たちエステユーザーの目につくところに常に置かれ、脳内に刷り込まれるのでございます。
出版物が名刺代わりになったのでございました。
繋がりのない別々の会社が、水面下で同時期に動き出し、そして発行したことにより、もみパラと週刊エステの名前が都内を中心に知られるようになりました。
そして、このままエステ業界がワンステージ上へ進むと思われた数日後でございます。
備忘録として書き記します。
「2011.3.11」
日本中が混沌とし、生気が消えていく日々。
看板が灯らない夜の街は、ただただ静かでございました。
アジアンエステのセラピスト様は、高騰した航空券で揺れる日本を脱出し、私たちはひっそりとした時を過ごすのでございます。
静かな日々は続き、季節は何事もないように春を迎え、そしてゴールデンウィークが明けた頃。
新宿駅南口を降りたところにある大きな看板が、白一色に変貌していたのでございます。
一つの時代の幕が閉じた光景。
目の当たりにした私は、その場でしばらく立ち尽くしていました。
ハワイ・デ・リゾート 閉店
メンズエステ好きにとって、とても大きな出来事でありました。
現在のメンズエステの源流でありますハワイ・デ・リゾート。
散りばめられた星のようにセラピスト様は各所で輝き、ご活躍なされてると思います。
現役の方、講師になられた方、引退して幸せになられた方。
たくさん夢をありがとう、とお伝えしたい今日この頃でございます。
2011年6月
A-sideやエステナビには相変わらず、いくつものお店が並んでいました。
どのお店が良いのか、可愛いセラピスト様はいるのかいないのか。
そんなネットサーフィンをしている中、TVショーからたくさんのパソコンが並ぶ映像が流れました。
ポータルサイトADnavi 閉鎖
中国エステ、韓国エステが一掃され、ハワイ・デ・リゾートが閉店。
情報源のエステサイトにまで手が伸びたこの頃、掲示板やブログでは「エステの終焉」「次はアーシデか」などの書き込みが増えました。
数ヶ月後には、ブロック塀のようにアジアンセラピストが並べられた新聞社と代理店までもが家宅捜査をされるなど、神からエステが見放された年でございました。
しばらく家に閉じこもりチェスをしていた私。
タモリ様のように1人で4人麻雀ができたら、さぞ楽しかったことでしょう
チェスの合間にネットサーフィン
アメブロやFC2
2ちゃんねるやしたらば掲示板
エステナビにリラックススタイル、エステ裏評価やもみパラ、週刊エステなど。
様々なブログや、まだ掲載しているお店が少ないサイトまで。
部屋にこもり虚ろな目で、白く光るパソコンを眺めていたのでございます。
つづきます……メンズエステの歴史 ~第二章【開花期】~ 中編
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